昨日雑司ケ谷に行く用がありまして、大曲を通りましたので、撮りました。
ここは松濤の観世能楽堂の前身の観世会館があった場所です。(昭和45年ぐらいだったとおもいます)
首都高速と千代田線の建設により、現在の松濤に移転しました。
私の最後の舞台は父の富士太鼓の子方でした。当日声が出ず、泣いた覚えがあります。
当時は高田馬場から都電が通っておりました。高速ができてからは、都電から都バスになったと思います。
現在は大きなビルになっていました。
子供の頃を思い出して、何かとても懐かしい気持ちになりました。
大曲の観世会館は懐かしい能楽堂です。
この近くに住んでおりました。中学・高校は目の前の都電「大曲」停留所から通いました。15番、早稲田から神保町まで、その先銀座まで乗っていけました。早稲田からは今の荒川線で大塚方面まで行けたんですよ。
高校生の時大曲の観世会館で開催されていた「学生鑑賞能」を観たのがきっかけで大学の観世会部に入部、今に至るまで謡を楽しんでます。
大曲に交差する「白鳥橋」を渡ると文京区、道なりに坂を登ると突き当たりが伝通院です。江戸情緒がのこる風情でしたが、高速道路が神田川の上を通るようになって激変、我が家も横浜へ引っ越しました。
懐かしい思い出をありがとうございました。昔を思い出しますね。
松濤の観世能楽堂もなくなり時代を感じます。
懐かしいお話ありがとうございました。当時、お父様の背中を見て能楽師の道を進まれてきたのだと思います。4代目のご子息様も同じですね。
コメントを頂戴いたしましてありがとうございました。崇俊も現在の観世能楽堂の思い出を語ると思います。
自分のできる精一杯の事をやってほしいと思います。