隅田川 続き

渡し守は哀れんで女を舟に乗せます。ここで女は笹を捨て(狂乱でなくなったことをあらわします)、笠を取り舟に乗ります。(作り物はでません)

舟に乗っていると、どこからか念仏がきこえて聞こえてきます。あれは何かと旅人が訪ねますと、渡し守は1年前に人買人に連れてこられて亡くなった子供のことを物語ります。ワキの聴かせどころです。その中で渡し守は吉田の某の子で、名前は梅若丸と話します。母はふとその言葉に耳を傾けます。この辺の型が難しいところです。

母はもう1度聞き直します。亡くなった日、子供の年、父の名前、子供の名前。間違いなく自分の子供だと確信して嘆き悲しみます。

渡し守は同情し子供の塚に案内します。母は我が子の墓を見て、土を掘り起こして号泣します。その後周りの人達と念仏を唱えます。周りの人は登場しませんので、地謡が代弁しています。南無阿弥陀仏を何度も唱えます。難しいメロディの謡でお経のように聞こえます。

その時子供の声がかすかに聞こえ、亡霊が塚から出てきます。この曲の作者は十郎元雅ですが、父世阿弥と子方を出すか出さないかの話し合いがあったといわれているほど、能としてはかなり強烈な演出です。

母は捕らえようとしますが、見失い見失い亡霊は塚の中へ消えてしまいます。あとは草茫々たる塚と白みゆく空が虚しくみえるだけでした。

大概の能はハッピーエンドになる演出がほとんどですが、この曲は悲劇で終わります。一節にはこのシテは能班女のシテの花子ではないかといわれています。ワキの語りで吉田の某と出てきますが吉田の少将の事とすれば話がうまく合います。日本舞踊では花子としてこの母を扱っています。

昨年班女を勤めましたので感慨深いものがあります。あの曲のテーマは扇ですが、ある人の話ではあの扇は子供の象徴だろうと云われました。その二人が大事にしてきた子供が人買いにさらわれたというストーリーは、更に死別するという結末でより劇的の能になりました。十郎元雅の能作者としての素晴らしさが存分に出ている曲だと思います。子供へのおもいはいつの時代でも変わりません。人間の業として持つ苦しみ、悲しみを能として表現しなければならないところが、この曲を非常に重く扱っている所以だと思います。

子方の装束は白一色で黒頭をつけます。その姿は月の影にも見えます。シテが最後に東の空を見上げる型が非常に印象的です。名曲中の名曲です。

隅田川 続き” に対して1件のコメントがあります。

  1. 屋島 遼子 より:

    >>>周りの人は登場しませんので、地謡が代弁しています。南無阿弥陀仏を何度も唱えます。難しいメロディの謡でお経のように聞こえます。>>>

    先生、この「南無阿弥陀仏」 ですが、そのまま、お経と同じなのです。
    昨年、実家で祖母の法事があり、その時、初めて気付きました。
    全く同じでした。ご供養が終わってから、御住職(真宗・東本願寺大谷派)にお訪ねしましたが、能の事は分かりませんので・・とのご返事でした。

    今年も5月に、両親の23回忌がありますので、その時は、おことわりして録音させて頂こうと思っています。

    他の宗派のお経でも同じなのかは、分かりませんが、私は、謡がお経と同じと言うのが、何かとても、深い意味があると思いました。

    田村・張良・隅田川、全部好きな番組なのに、私はその日、ボランティアの行事と重なり、責任者なので、能楽堂に伺えず残念至極です。
    当日のお舞台のご成功をお祈り申し上げております。

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