檀の会 田村

今回の檀の会の田村についてお話させていただきます。私は2度勤めております。初演は昭和56年8月武田同門会、2度目は60年1月芸大卒業演奏会で後シテ(前シテは下平克宏氏)でした。ちなみに56年は芸大1年生、内弟子入門の前年にあたります。崇俊は今年大学3年生です。

田村は修羅物の中でも勝修羅3番といわれ、祝言性のある曲です。ほかには屋島、箙があります。前後2場面の能で、前シテは童子、後シテは坂上田村麻呂です。

春の京都清水寺に赴いた東国の僧(ワキ)が、満開の桜を見ていると、箒(ほうき)を持った童子が現れます。この箒は萩の枝をまとめて作ったもので、萩箒(はぎぼうき)と呼ばれています。今回は私が以前作成したものを使いたいと思います。

童子は坂上田村麻呂が創立された清水寺の歴史を語り、また周辺の名所を僧に教えます。すると音羽山から月が出ます。童子はそれを見て、春の一刻は千金に値すると云います。(春宵一刻 価千金)この一節はシテとワキが一緒に謡いまして、お囃子方は打たず、謡のみを聴かせるという珍しい演出です。その後景色をめでて童子は舞います(クセ)。前半の見所です。そのあと童子は地主権現の田村堂に消えます。(中入り)間狂言が坂上田村麻呂のことを語ったあと、僧が法華経を読誦していますと、坂上田村麻呂が甲冑の姿で現れ、勅命によって伊勢路に入った際、数千騎の敵に遭遇したが、心中で仏力神力を祈ると、千手観音が現れて千の御手に大悲の弓を持ち放たれて、敵はことごとく討たれたことを語ります。そして観世音の神力を賛美して消えます。

この場面は前半シテが床几に腰かけ、座ったまま型をします。後半は立ち上がり激しい動きを見せます。見所たくさんのクライマックスです。前後ともそれほどストーリー的には複雑ではありませんので、見やすいお能だと思います。

ただ前シテの謡、また装束を着て後シテのキレのある動きをしなければならないので、かなりの稽古をしないと勤められない曲です。崇俊にとって大事な曲になると思います。しっかり稽古してほしいと思います。

次回は隅田川について書かせていただきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA