錦木
今月6日の観世会でツレを勤めます錦木のことですが、とてもうまく書かれていた本がありましたので、ご紹介させていただきます。
男性が女性に求婚する方法はいろいろあるけれど、陸奥では一尺ぐらいの木を彩って、思う女の家の門に立てておくと、女に求婚受諾の意思があればそれを取り入れるが、取り入れてもらえないときには男は毎日それを立てつづける。普通は千日間立てれば努力賞として望みが叶えられるが、それでもダメな場合もあるという。
この風習は、瓦斯などのない時代には薪採りが女性にとって大変つらい仕事であったので、好意を持った男性が門の前に薪を置いてやったことから起こった風習でもあろうし、更にさかのぼれば、今でもある正月の門松のように幸福を導きいれる通路として立てたのが源とも考えられる。
チャップリンの映画でも、彼が思いをかけた気位の高い婦人に、一日おきに花束を何週間か贈りつづけて目的を果たしかける場面があるから、女性の心理は古今東西変わらないものなのであろう。また細布はもと人さらいに取られないおまじないに幼児に着せておいたもので、幅が狭いので「胸あひ難き」というところから結ばれない恋の象徴になり、錦木と共にこの里の名物となったものである。
この曲は、錦木や細布を詠んだ歌のことが「能因歌枕」や「俊頼髄脳」に出ているのをもとにして作られたものである。
能は「女郎花」や「船橋」と同じようにワキの諸国一見の僧がワキツレの従僧を従えて登場、陸奥の狭布の里(実在せず)に着く。前シテの男と前ツレの女とがそれぞれ錦木と細布を持って登場、次第・サシ・下歌・上歌としっかりした謡がある。ワキの質問によってシテとツレは口々にこの地方色ゆたかな売物を説明して初同となり、ワキの懇望により、錦木の由来、三年間錦木を立てつづけて恋のかなわなかった人の物語りをし、その人とその恋人とを埋めた錦塚にワキを案内し、クセのような形になってシテは塚の中に入り、ツレは後見座にくつろぐ。「女郎花」・「船橋」が常の中入をするのに対し、作り物に中入りするのは能の古い形が残っている感じである。昔を思い出してその場面をビデオで再現するように、ツレは作り物の中に入りシテが門を叩くけれど、聞こえるのは機を織る音と虫の音ばかりであるという場面がある。クリ・サシについでクセになり、「夫は錦木を運べば」とシテは錦木をツレの前においてじっと下に居て反応を待つ。常ならばツレがシテにあしらう所であるが、ここはわざとあしらわないことでつれない心を表現する。いかにも能らしい静の表現で、歌蔵伎ならば大げさにそっぽを向くところであろう。「夜はすでに明けければ」でシテは常座へ帰り舞グセになる。そのあと、「船橋」は立廻り、「女郎花」はカケリになるところをこの曲は「松虫」と同じように黄鐘早舞になり、内容も「今宵鸚鵡の盃の」からついに逢うことができた悦びのムードに急変し、この曲はよい後味を残して終了する。因みにアイルランドの詩人・劇作家イェーツはこの「錦木」の英訳に刺激され、1915年にアイルランドの伝説に取材した鷹の井を書いたのである。 (「能の観賞」 著者:松井定之 )
作者は世阿弥です。見どころは前半は二人が謡う男女の(シテとツレ)謡です。動きはそれほどありませんが、能らしい雰囲気が感じられてなかなかすてきだとおもいます。後半は塚から現れるシテの姿が非常に印象に残ります。ツレも登場しますが、前とおなじ扮装です。ツレの役割は重要です。頻繁に出る曲ではありませんので、7月に勤めましてまた今回勤めることはかなり珍しいとおもいます。
シテは平成8年に勤めました。このときは前日に熱をだし、薬を飲んでふらふらで勤めた苦い思い出があります。またいずれ舞ってみたいとおもいます。