通盛
今月は今日で終わりです。雨が降りませんでしたね。水不足が心配です。一雨欲しいところです。
さて9月18日の武田同門会で勤めます通盛のことに少しふれさせていただきたいと思います。
能の話は阿波の鳴門に一夏を送る僧が、平家の一門を弔っていると、沖から船に乗った漁翁(前シテ)と海女(ツレ)が近くに漕ぎ寄せて聴聞します。船の篝火を照らして僧は読経します。僧はこの浦で果てた平家の人たちのことを尋ねると、二人は通盛の妻の小宰相の局(こざいしょうのつぼね)が通盛の戦死を悲観し、入水自殺したことを物語り、二人共波間に消えます。僧が読経し弔っていると、夫婦が現れ(後シテ、ツレ)一の谷の合戦前夜の別れや最期の様を物語り、僧の功徳によって成仏したことを感謝して消えるという話です。
清盛の甥にあたる通盛は人も羨む夫婦でした。小宰相の局は通盛の戦死を知り、7日泣き通し、鳴門沖に入水自殺をはかります。彼女は通盛の子供を宿していました。19歳といわれています。平家物語の中でも有名な恋の悲劇です。シテはもとより、ツレの役割も重要です。ご高覧賜れば幸いに存じます。
通盛のことで、私が愛読しております能の観賞(松井定之著)がとてもおもしろいので、一部をご紹介させていただきます。
井阿弥の作を世阿弥が手直ししたといわれる修羅能である。修羅能は武人の亡霊があらわれて修羅能に堕ちた苦しみを訴えるものであるが、平家の公達の場合は優雅な面が持ち込まれるものも多く、この「通盛」には愛妻の小宰相局が登場する。彼女は上西門院に仕える女官で宮中第一の美人という評判があった。通盛が彼女を見染め八方手をつくして三年がかりでやっと妻にすることができた。都落ちの時も清経は両親にとめられて妻を都に残したが通盛は同伴を敢行したのである。
一の谷の戦で彼も忠度・経正・敦盛・知章など修羅能の主人公たちと共に戦死した。小宰相は船中で夫の死を聞き、乳母に自分が妊娠していることをはじめて打ちあけ投身の決意を語り、極力とめる乳母のまどろんだ隙に身を投げたのである。能ではとめる乳母の手を振り払って身を投げるよう劇中に作られているけれど。
「通盛」の前段は阿波の鳴戸の夜の海上である。ワキの僧がワキツレの従僧を従えて登場し、平家一門を弔うために岩の上で読経をする。後見が篝火をつけた舟の作り物を脇正面に出し、シテ漁翁、ツレ海士の女(実は小宰相局)がその舟に乗る。岩上に読経する僧とそれを聞きつけて舟を寄せる漁翁・海士女との出会いは能として珍しい場面、シテが扇で篝火をあおって光度を上げ、その光でワキが経文を読みシテとツレがそれを聴く。はてしなくひろがる夜の海上に、篝火を中心に三人の心が一つになる大変美しい場面である。
ワキの源平の戦の時このあたりではだれが命を失ったかという質問に対し、話題が入水した小宰相局のことにしぼられ、シテとツレが口々にその時の有様を物語り、小宰相局入水の場面を再現する。
シテはツレを見込み乳母の心になり、ツレの右袂に両手をかけて引き止める型があり、「振り切り海に入りたまふ」とツレは舟から出てズカリとしたに居て入水を表現する。ツレは後見座にくつろぎ、シテは小宰相の姿を探すように見廻し、舟から出て床に膝つき立って中入する。シテも海底に沈んだ心である。間狂言の所の者の語りがあって後段に入る。
ワキが待謡として方便品を読経すると後シテ通盛の霊があらわれワキに合掌し、ツレも後見座を立って大小前に出る。ツレは前後同じ扮装であるけれど後段は小宰相局の霊そのものである。昔は中入して装束を替えたのであろうけれど。ここで夫婦揃って僧の前に姿をあらわし昔の軍物語をすることになる。
クセの前半で通盛が小宰相局と陣中に別れの盃を汲みかわす場面が展開されるのは修羅物として珍しく、後半で弟の能登守教経にせき立てられて心弱い自らを恥じながら出陣し、キリで木村源五重章とさし違えて命を畢るまでが鮮やかにに演じられる。
「猿楽談義」に「通盛、言葉多きを切り除け切り除けして能になす」とあるように原作はもっと長かったらしい。それを世阿弥が改作して「井筒・通盛などすぐなる能なり」「神の御前晴の猿楽に通盛したきなり」などといっているからよほど自信のある作だったのであろう。