百万の舞囃子
今日は国立能楽堂で観世流小鼓のお素人会 味麻会(みましかい)でした。大雨の悪天候でしたが、大勢のお客様がお出ででした。
私は能 葵上の地謡の他、舞囃子数番と百万の舞囃子を舞いました。小鼓は坂城の会員の松尾文子さんでした。曲のクライマックスのサシとクセで、申し合わせより格段によくできて、私もほっとしました。
今日は父が3周年に作りました本金(24金)遠山に若松の扇(写真)を使いました。絵柄は父の考案です。昭和33年が独立ですから、36年で、私が生まれる1年前の物です。今から51年前です。
この扇は父も私も好きで、私の独立能の時、この絵を改めて写して(同じものをつくられないように原画は処分します)を出させていただきました。その時も本金を作りましたが、やはり元の扇の方が素敵で、
こちらを使うことの方が多いです。父は他にも多数のオリジナルの扇を作りました。今はなかなかできませんので、有難く思っております。これからもご紹介させていただきますね。お楽しみに。
百万の能は内弟子時代、昭和63年第2回檀の会で勤めさせていただきました。行方知れずになったわが子を訪ね、探し求める母の百万(一説には山姥のツレの百萬山姥と同人物)がシテです。若いものにはなかなかむずかしい曲ですが、師匠の特別なご配慮で舞わせていただきました。感謝の気持ちもあり、とにかく必死で稽古したことを思い出します。子方は高梨万里氏でした。彼は現在立派な能楽師ですから時代を感じますね。
この曲は観阿弥作とされています。もともとこの曲のクセは地獄の有様を舞っていたようですが、そのクセを別の曲に入れ、母が子供を訪ねさまよう様を舞う、今の形になりました。
その別の曲が今度勤めます歌占(うたうら)です。運命的です。今朝歌占の稽古をしながら一層感じました。