檀の会の見どころ
【求塚】について ― 松木千俊 ―
この曲は観世流では暫く中断しておりましたが、昭和二十六年に分家の観世華雪師により復曲上演されました。
本説は万葉集に歌われ、大和物語で敷衍された「うない乙女」伝説です。固有名詞は色々になっていますが、恋の三角関係の悲劇で、二人の男に想いを掛けられた女性が、どちらをも
選べず自らの命を絶ち、その後、男二人も自殺してしまったという物語です。
能「求塚」は、この伝説を元に観阿弥・世阿弥によって作られました。
囃子方、地謡が着座のあと、塚の作り物(引き廻しという布が掛かっています)が出されて、
舞台が始まります。
西国方の僧(ワキ)が従僧(ワキツレ)と共に生田の里小野に着きます。
そこへ“一声”という囃子で、若菜を摘む女(シテ)がツレ二人を先立てて登場します。
早朝のまだ寒さ残る中、若菜摘みをする場面を橋掛りで謡い表現します。その後三人は舞台に入り、ワキとの問答になります。辺りの名所を教えた後、ツレ二人は幕に入り、シテ一人が残ります。ワキが求塚の事を尋ねるとシテはその塚の前に案内し「うない乙女伝説」の話を
語ります。シテの謡の聞かせどころで非常に重要なところです。ご注目頂きたいと思います。
昔、この地に住む「うない乙女」が「ささだおのこ」と「ちぬのますらお」の二人に愛され、
いづれになびくか迷った末“生田川のオシドリを射させて仕留めた男に”と決心しますが、
二人の矢は一つの羽に当り勝負がつかず、女は悩み果て入水自殺してしまいます。その塚が
この求塚であり、二人の男も後を追ってその塚の前で刺し違えた次第を語ります。自分こそ「うない乙女」の亡霊でこの罪障を救って欲しいと言って塚の中に消えます。
「刺し違えて」の地謡でシテは一寸強く足をつめます。リアルな型ではありませんが、もの凄さを表現する箇所です。皆様の想像力を掻き立てて御覧頂きますととても面白いと思います。
所の者(間狂言)が求塚の事を物語り、ワキが待謡という謡で亡魂を弔い読経をすると、太鼓の入った出端(では)という囃子が入ります。すると塚の中からシテが謡い出します。
曠屋(こうや)に一人埋められている淋しさを訴え、ワキの読経に感謝します。
「火宅の住家をご覧ぜよ」で引廻しが外され、地獄の苦しみに痩せ衰えた姿を現します。
痩女という面を掛け、白い装束でいかにも幽霊という出立です。
シテはワキの回向により、安らぎの晴間が出たことを合掌して感謝します。しかしそれは
長続きせず、常に苛まれている二人の男の姿、襲いかかるオシドリは体を啄み頭に群がります。かなり強烈な場面ですが、シテの謡の聞かせどころです。この苦しみから逃れたいと願う
シテですが、更に飛魂の鬼に追い立てられ、前は海、後ろは火焔で行き場が無く、作り物の
柱に手を掛けます。熱さのあまり手を放して両手で上体を抱く型があります。
クライマックスです。その後、「御前にて散華の有様を見せ申さん」で作り物から出て、
「無問の底に足上頭下と落つる間は」で扇を上から下に打ち込み腰を落とす強い型があります。これほど壮絶な状況ですが美的に表現されているところがこの曲の素晴らしいところです。「うない乙女」は再び塚に入って終わります。
シテの受ける地獄の苦しみは消える事はありません。女性は生まれながらに五障の罪を負っており、美しさ故に受ける苦しみなどは現代ではとても理解できませんが、この曲はその矛盾が人間苦の象徴となり、芸術的かつ哲学的な美として表現されているのだと思います。
動きはあまり多くはありませんが、御覧になったあと非常に印象に残る曲だと思います。
【土蜘蛛】について ― 松木千俊 ―
能には「神の能」と「鬼の能」とがあります。前者は土着の神が、その土地を征服した神を
迎えて歓迎の様を演じた事から、後者は服従しない土着の民族が中央の支配者に滅ぼされることから起こっています。
「土蜘蛛」とは、土着民族の一つで風土記にも各所に住んでいたとされています。
この曲は“膝丸”という名刀が“蜘蛛切”に変わったという平家物語の剣巻を題材にしています。
地謡と囃子方が着座すると一畳台が舞台の地謡側に置かれ、頼光がトモを引き連れて登場します。台に乗り葛桶に左手を掛けてその上から赤地の装束を掛け、病気で伏せている態をあらわします。
緞帳があればここまでの動作は省略されるのですが、能では準備の様子もすべて観客の見ている前で致します。台の出し方等全て決まっており、能の独特な演出方法です。我々の大事な作法です。
まず、胡蝶が次第の囃子で登場し、典薬の頭より薬を持って頼光に届けます。弱気な頼光を励まします。その後、胡蝶とトモは切戸に入り、替わってシテが僧の出で立ちで橋掛りに登場します。
シテは頼光に気分はどうかと尋ねながら近寄ってきます。
やがてシテは「かくるや千筋の糸筋に」と白い糸を投げつけます。この曲だけの演出です。
この巣は金剛流の太夫が考案したと伝えられています。鉛に薄紙を巻いて切ったものです。
(現在は檜書店で販売されておりますが貴重品です)
投げ方はかなり難しく、歌舞伎の投げ方とは全く違います。ご期待ください。
頼光は太刀を抜き、台から飛び降りシテと戦います。
シテは更に巣を投げかけ幕に入ります。前半の見せ場です。
騒ぎを聞きつけた家来のワキ(独武者)が駆けつけます。頼光はその時の様を語り、切りつけた太刀“膝丸”を“蜘蛛切”と名付けると話します。
ワキは切り付けられて流されている血を辿って退治すると言って退場し、頼光も退場します。
独武者の従者(間狂言)が頼光の命により葛城山に退治に行くことを語り、後段になります。
引き廻しが掛かった塚が出されます。
“一声”の囃子で後ワキが従者を従えて登場し、塚を崩すと中から土蜘蛛の精が現れます。(赤頭に“しかみ”という面を掛けています)シテは、張られた巣をやぶり塚から出て執拗に
巣を投げます。
ここから「働き」になり、ワキとの戦いが始まります。しかし最期はワキに切られ、後ろ向きに豪快に倒れます。“仏倒れ”という型です。
源頼光が登場する鬼退治の曲は他に「大江山」「羅生門」があります。
頼光は当時、勢力者である藤原道長に財力によって近づき中央勢力の中心になっていましたが、土蜘蛛は抵抗勢力として滅ぼされたのでした。
崇俊は
二年前の檀の会直前足を骨折し、私が代わりを勤めました。その時の悔しさと今日無事に
勤められる喜びを感じて精一杯演じて欲しいと思っております。
以上は当日様に作りましたものです。
お風邪やインフルエンザも心配しておりましたが、転ばれたとお聞きし、ビ、ビックリしてしまいました。何事もなくホントご無事で良かったです。安心いたしました。きっと天国でご両親さまや奥さまが見守っていて下さっているからでしょう。
檀の会、とても楽しみにしております。また、このように事前に内容や見どころを詳しくお聞かせ頂き、素人にはとても有難いことです。情景が目に浮かぶようで、ますます気持ちが高まってまいります。
あと数日となりましたが、お身体にはくれぐれもお気をつけていただき、無事当日が迎えられますこと、そして檀の会のご成功を蔭ながらお祈りしております。
ご心配おかけしてもうしわけございません。どこも痛くはありません。明日申し合わせです。準備万端です。当日は舞台よりお待ち申し上げております。